H26年度 かわさきの職業人インタビュー(佐藤さん)

自信を持って夢を追いかけよ


Ti-da Bar(ティーダバル)
店主 佐藤惠子さん

佐藤さんは、58歳の時に仕事を辞め、59歳で起業した。9年前のスペインツアーで出会ったバル(若い子からお年寄りまでが集まる軽食喫茶店や酒場)に魅せられ、自分もバルを開きたいという夢を持ち、その夢を追いかけた。そしてある時、不動産の「貸店舗」の張り紙をたまたま発見し、契約。学校給食の調理員時代に培った、食べ物を選び調理する能力や、講座を通じて知り合った人脈を生かして、地域交流を大切にしながらお店を経営している。お店は午後6時に開店をし、午後10時半には閉める。自分で仕事と生活のリズムをつくることのできる心地よさを感じながら働いている。

人と人をつなぐ食の魅力

佐藤さんは、食べることは人と人とを仲良くさせる一番の方法だと語る。24年間子ども達の給食を作ってきた経験から、そう考えるようになっていった。調理員時代に、子どもが大喧嘩をしていても一緒に食事をすると仲直りした光景を見たことを通じて、その気持ちは強くなったと話す。新鮮であれば何でもおいしく、おいしいものを食べると幸せな気分になれる。そして、現在は「大人の給食」を作り、食を通じた人と人とのつながりづくりの大切さを実感しつつ働いていると話す。

起業をするまで

佐藤さんは、沖縄出身で短期大学を卒業後、上京し20歳から10年間JRA(日本中央競馬会)に勤めた。30歳で出産後、仕事を辞め子育てしていたが、3か月ほどで働きたいと思うようになり、子どもが4歳になったとき働き口を探した。そして、川崎市の広報に載っていた学校給食の調理員募集に応募し、再就職をはたす。学校給食はチームで調理するチーム力が求められる職場の中で揉まれつつ働いた。その後、市が主催する起業講座で出店の仕方について学んだり、スペイン料理文化アカデミーで料理を習得したりなどし、開店の準備を始めた。そして、58歳の時に、24年間務めてきた学校給食の調理員の仕事を辞め、59歳の時にティーダバルを開店した。

つながりを大切に

佐藤さんは、JRAに勤めている間、会社人間として働いてきたために、地域のことを何も知らなかったと話す。子どもを預かる場所がないという問題に直面し、自身の地域との交流の希薄さを実感した。一から始めた今の仕事は、起業準備をする中で知り合った地域のたくさんの友達に恵まれ、支えられているからこそ成り立っていると言う。経理関係であれば、税務士、社会保険労務士。内装関係では、建築家。デザイン関係は、デザイナー。お皿の注文は、パソコンが得意な人。他にも不動産関係の人や絵手紙の先生などが協力をしてくれるという。声をかけるとかけた分だけ、みんなが動いてくれる。そういった経験から、地域の方との交流を大切にするべきだと言う。また、人と触れ合ったり、話をしたりするほうが、住みやすいし楽しい。
人と関わる中では、もしかしたら煩わしくなることもあるかもしれない。しかし、その煩わしさもプラスの経験だと思えばいい。年を取ってからも、安心して暮らしていくためには、好きな町にたくさん友人がいたほうがいい。周りとの関係がなく、ひとりぼっちで生きていくのはつらい。市が主催する講座には、料理講習会、衛生管理講習会などがある。講習を受けることによって資格をとれるものもあり、調理師の資格はすぐに役に立ったという。きっかけは色々なところに転がっていて、きっかけからまた新たなきっかけが生まれることもある。関わりを避けずに行動をすることで、また新しいなにかを発見することができる。佐藤さんは、様々なチャンスが転がっているのにも関わらず、行動を起こさない人をみて、不思議に思うと話す。

夢の追いかけ方

59歳で起業を実現した佐藤さんだが、「夢は実現しなくてもかまわない」と佐藤さんは語る。夢を実現させることも大切だが、その前に、夢を追いかけるということが大切だと言う。もし途中でなにか失敗をしたとしても、落ち込んで深く考え込み、暗くなってしまうのではなく、後で笑い話にしてしまえばいい。佐藤さんは、夢を追いかけて追いかけてきたからこそ、楽しいことがあったと言う。嫌になったら、途中でやめてもいい、歯を食いしばってやることも大事な生き方かもしれないが、合わなかったらやめて、また違うことを探す生き方もいいと話す。やってきたことに対して自信をもつことが大切だ。

編集後記

夢を追いかけて、様々な方たちと交流をしている佐藤さんはとても素敵だった。また、お話の中で、「今の私が一番好き」という言葉を聞き、私もそんなことが言えるような人になりたいと思った。
26-7-2
取材日:2014年8月20日
取材者:大原千隼、加藤有紗、渡邉康平

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