女性のキャリアアップモデルインタビュー #13

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松本 幸子 氏(人形劇団ひとみ座人形劇場・ひよこ班 責任者)


松本さんは入団26年目、現在人形劇団ひとみ座で、幼児劇場や伝統芸能「乙女文楽」の公演に係る管理責任者をしています。大学卒業後人形劇団に入団し、結婚、出産、子育て、そして療養中も、現場から離れたくないとの思いから、仕事量や内容を柔軟にしながら仕事を続けてきました。管理者として、グループの顔となり交渉の場に立つことで責任感が芽生えるとともに、若い世代を応援する気持ちが強まったといいます。松本さんより上の劇団創設世代は、敷地内に尞と託児所を整備し、結婚、出産を経ても仕事を続けたといいます。今はもう託児所はないそうですが、当時は劇団の子どもは劇団で育てるとの理念のもとに整備された事例は参考になります。子育てしながら仕事を続け、時に肩身の狭い思いをしたこともありますが、子どもがいたから自分のしたいことができなかったと言い訳をしたくないと松本さんは考えました。助け合っていかない限り続けられないことを体験することで、次世代への配慮も芽生えたといいます。松本さんは、次世代女性たちが同じような境遇になったら支えていきたいと考えています。

(H25年10月インタビュー)

現在、どのような仕事をしていますか。

弊社は、人形劇団として劇団が所有する施設での上演や、全国の施設や保育所・幼稚園、学校などの巡業公演をしています。私はその中でも3、4人編成の幼児劇場ひよこ班の責任者をしています。上演内容の確認や打合せなど、公演にあたっての依頼者との折衝に始まり、当日の舞台セッティング、発声練習、当日の上演、終了後のお客様の見送りや片付け、撤収作業といった一連の作業を中心となって行っています。また、伝統芸能である乙女文楽の責任者も兼務しています。

今の仕事に就いた経緯を教えて下さい。

小学校5,6年生の頃、引っ込み思案だった私を先生が後押ししてくれました。その影響もあって教員を志すようになり、大学は教育学部に入学しました。しかし、教育実習をしていたある日、無邪気な子どもたちの視線を受け「今の自分には教えられるものが何もない」と感じてしまったのです。進路に迷いが生じ、それからはとても悩みました。他方、大学入学後、人形劇サークルに入っていました。そのとき先輩がひとみ座でアルバイトをしており、サークルにノウハウが伝承されていました。人形劇の面白さを知り、のめり込んでいきました。教員採用試験も受けましたが、人形劇への想いを忘れることができず入団しました。周囲からは反対され、10年後の自分を見据えるよう言われましたが、どんなに想像しても10年後に演劇をしているイメージしか思い浮かびませんでした。好きなことを仕事にしたい、好きなことに時間を使いたいと思ったのです。

入社後のキャリアについて教えていただけますか。

1988年に入団しました。もう25年になります。当劇団は上演班、アトリエ班、小学校班など、目的ごとに班が分かれており、通常は研究生として一年間はそれらを学ぶのですが、その年の採用が私一人であったこともあり、即戦力として扱われました。入社した年は劇団創立40周年。リア王の上演が決まっており人形づくりのための粘土こねが最初の仕事でした。その半年後、欠員が出て小学校班に所属し、5年間全国の小学校の演劇教室を回りました。また、配役もセリフ一言だけの役から村人、母親、海の神役と徐々にステップアップしていきました。
1993年に同僚と結婚したあとも仕事を続けましたが、その年に体調を崩し3年間療養生活を送りました。その時期も、衛星放送番組の配役などをいただき出演していました。上演班に就くことはできなかったのでアトリエ班に所属し人形製作にも関わりました。
1996年に第一子を出産した時も、二週間に一度テレビ収録の仕事をし、数少ない機会を大切にしつつ舞台作品にも参加できるよう準備をしていました。子どもが成長すると、保育園に預けながら地域に根ざしたスタジオの単発公演に年に一度参加するなど、出演のチャンスを待ちながら仕事を続けました。その後、5,6年ほど助成金申請や事業企画・広報、ラインナップ作りなどの制作の仕事を担当しました。数年先の公演を見据えてスケジュールを組んだり観客の動員等を考えたりする作業に携わり、視野が広がりました。しかしこの時は人形劇の現場にもいたいとの気持ちもありました。そうして2007年に上演に完全復帰し幼児劇場ひよこ班の担当となりました。その後2011年に責任者となり今に至ります。

責任ある立場となり、仕事に対する受け止めや心境はどのように変化しましたか。

そうですね、責任者になってからは指示のもとに動くのではなくグループの顔として自ら交渉に立つようになったので、責任者としての自覚もさることながら、責任感が芽生えてきたように思います。
また、若い世代を応援する気持ちが前より強くなりました。私たち世代は仕事に生活時間の多くを費やしてきましたが、そのようなやり方を押しつけるのではなく、すべきことをすれば自分のために大いに時間を使ってもよいと考えられるようになりました。

出産後はどのように仕事を続けられましたか。なぜ続けられたのでしょうか。

創始者である第一世代は、劇団の子どもは劇団で育てるといった理念のもと、劇団敷地内に寮と託児所を整備しまして活動してきました。今でも現役で続けてこられたのは、女性たちが結婚、出産を機に劇団を離れてしまわないようにしてきたからだと思います。今はもう託児所はありませんが、このことは大きかったと思います。テレビ収録に入るとしばらく帰宅も午前様になり、その間子どもを見てくれていました。劇団の近く保育園もありましたが、託児所で保育士を雇い見ていました。また、賄いもいたのでとても助かりました。
私自身は保育所と実家の母の助けを借りて仕事を休むことなく続けてきました。子供の成長にあわせて仕事量を少しずつ増やしていくことができました。それがよかったです。

社内環境、仕事と子育てを両立できる環境が当時は整っていたのですね。

ですね。とはいえ、同世代で今でも続けているのは私だけです。第一世代の子育てをみて、第二世代の先輩たちは自らの手で子育てをする道を選ぶようになりました。事実、結婚・出産後に上演班を離れ、時間の融通の利く事務職やアトリエに異動する方もいます。私は不器用ゆえ現場から離れたくなくて、年に1,2回は舞台に立とうとテレビ上演の仕事をしました。子どもが幼いうちは実家の母親にお願いし、保育園に預けられるようになると、単発のスタジオ自主公演への参加や、助成金獲得、企画、構成、広報などにも携わりました。保育園からの電話には、いつも怯えていましたが、かかってくると稽古中でもスタッフが「すぐに行きなさい」と声がけしてくれました。また、送迎時間にも配慮してくれました。幼児劇場ひよこ班に復帰した頃は子どもが小学校低学年だったので、急場でも対応できるよう配役をダブルキャストにしていただきました。第一世代の方からは「ゆっくりやりなさい」と言われます。また「早く帰りなさい」とも口癖のように言われます。賄いの方に夕食を頼んでタッパーにつめて帰り、夕食の時間を短縮することもあります。
「子どもがいたから自分のしたいことができなかった」という言い訳をしないでいたいと感じたことも、仕事を続けようと思った理由のひとつかもしれません。子どもを持ちながら演劇を続けることについて、周囲に迷惑をかけているなと日々感じ、肩身の狭い思いもしました。しかし時には甘えさせていただこうかと考えるようになりました。子どもがいることに引け目を感じることはないですし、助け合っていかないと続かないともあると思います。もし次世代がそのような立場になったら、いつでも「行ってらっしゃい」と言えるようにしたいと思っています。

その他に、続けるにあたり心がけていたことはありますか。

子どもが保育園に通っていた頃は、ママ友だちをたくさん作りました。大変な時は預かったり預かってもらったり、お願いできる仲間を増やしました。仕事を辞めたいと思ったことは一度もありません。専業主婦をしているママ友だちのなかには「24時間子育てにかかりきりで、一人になれるのはトイレだけ。時々トイレにこもって泣くこともある」とおっしゃる方もいましたが、私がそうならなかったのは働いていたからなように思います。「子どもを預けてばかりでかわいそう」と言われたこともありますが、預けている時間は子どもから与えられている時間、だから有効に使おう、感謝の気持ちを込めて力を注ごうと決めました。仕事をしている間は時間に追われてもいますが、でもハリはあるように思います。

ワーク・ライフ・バランスについて、仕事以外のプライベートはどのように
過ごしていますか。

美術館に行ったり書店で新しい絵本に出会ったりすることが好きです。最近は日々の生活と仕事に追われ、ホット一息つけることが少なくなりましたが。

今の職務において大切にしていることがあれば教えて下さい。

相手に対し誠実に対応することを心がけています。このことは、劇団の仲間に対しても、お客様に対しても同じです。

今後手がけていきたい仕事はどのようなものですか。

乳児向けの人形劇と、一人で演じる人形劇をしてみたいです。また、乙女文楽は今注目されているので、新作をつくり海外との交流を深めていきたいです。

次に続く女性たちへメッセージをお願いします。

創造的な仕事は、楽しい!と思えることが仕事のヒントになります。多くの興味関心に出会えるよう時間を大切に使ってほしいと思います。また、周囲への感謝の気持ちを忘れずにいることも、自身を支えるように思います。どんなにひとりで頑張ってもやはり限りがあります。家庭、職場、地域など、いざという時に助け合える関係を築いていくことで、おたがいの子どもの面倒を見られる関係性を築かれていくのだと思います。

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